2022,11,4
今日もいい天気。バタバタした。
主人の薬をもらって、郵便局で用事をして、中学校の図書室の昼休みの開館をし、買い物をして、晩御飯を作り、その間に義母の用事を色々こなし。
一体何やってるのかしら。
今日末娘はまた学校を休んだ。
1週間前も同じことしていた気がする。
しんどいそうで。
胸の詰まる感じがする、むかつきがある、とのことだが、熱もなし。ストレスかな。
こういうのを我が家では、計画運休という。
次の日をうまく過ごすための、計画的な休み。
仲の良い友達と過ごすのはあと少しなので、行っといた方がいいよ、と私がいうと、「それは圧力かけられているように感じる」と返してきた。
親は圧力をかける存在なんですよ。
あんまりかけてる気はしないけどなーというと、それは勘違いなんだそうで。
思いあがっちゃいけないそうです。
私ら子供の時はめっちゃ圧力かかってたがな、この比じゃないで。
そら、この子ら、パワハラに弱いわ。
そういうと、子供と書くときの供が、「お供」のように見えるので使ってはいけないという話について、今日、ラジオで話題になってましたね(MBSラジオの上泉雄一のええなぁにて)。「供」は元々は「共」でただ複数形を表すもので、いつの間にかニンベンがついてしまっただけなんですって。文部科学省もそう言ってるそうで。そらそうだなぁと納得しました。万葉集では、「子」の複数って「子ら」じゃないのかなぁ。適当なことを言いましたが、こんなことについて考えてみるのも楽しそうですね。