2022,12,19
今日も?休み。今日は寒い。
今年賀状を印刷中だが‥この人に出す必要があるのか?と思う人がほとんどだ。学生時代の友達はもういいような気がする‥もう、何十年も会っていないし、きっと会わないしな…こんな情けない自分になってしまっているので、今更昔の友人に会うのも恥ずかしい。
今年は年賀状を郵便局の無料アプリで作っている。スマホでデザインを選び、自分の住所も書き込めて、簡単に作れる。30分もかからずデザインが完成。
自宅のプリンターで印刷も瞬殺。なんて便利な世の中。
昔はデザインにすごくこだわり持って、半月くらいかけて完成させてたのになぁ。デザインをどこかの本から探してきて、コピーして、ハガキの大きさの紙に貼ってからコンビニコピー機でハガキを手差しで入れて印刷したりしてました。
何であんなにこだわってたのかね、そんなに友達もいないのに。
親戚の中には年賀状を止めると公言している人もいるので、こちらからも出さないように気をつけていたりする。高齢になると余計に面倒になるだろう。
それはそれで、寂しいな、と思うところもある。
私は長女で、何かあると親戚付き合いの場によく出ていたので、長く会っていないおじさんやおばさんに、この年になると会っておきたいと思うようになった。後からなくなったことを聞かされることが度々あるから。
父の兄嫁、つまりおばさんが先日亡くなったことを知った時はなかなか考えさせられた。
伯母とはそれほど関わりはなかった。特に可愛がられていたわけではない。同居していた祖母(とっくに鬼籍に入っている)は伯母の悪口ばかり言っていたし、愛想のいい人でなかったし、見かけもどちらかというとちゃんとしていた人ではなかったので、特に好きな人でもなかった。祖母が亡くなってからは、親戚とはいえ行き来がなくなっていた、というだけだった。
両親も同じ村の中に住んでいるが、時々挨拶をする程度だったという。それが、ある日いきなり従兄弟の一人がやってきてなくなったことを聞かされたという。病気になっていたのか、急死だったのかもわからない。そして従兄弟たちから葬式にも呼ばれなかったというのだ。ま、コロナだったという状況もある。とはいえ、同じ村の中にいる親戚に一報もないなんて、なんて寂しいことなんだろう。
従兄弟たちは全員村を出てしまっていて、伯父も早くに亡くなっていて、伯母が住んでいた家は空き家のまま放置されている。子供の頃、親戚みんなが集まった家。立て替えてしまっているので、その頃の面影は全くないのだが、それにしても、懐かしい場所であることには変わりない。
従兄弟たちも面倒なことは避けたかったんだろうし、なんか疎遠になったわたしの両親に頼って葬式ごとをするのも嫌だったのかもしれないが、声くらいかけてくれればよかったのに、と思う。縁のあった方なんだから、お線香くらいあげてあげたかった。伯母も、なんか寂しかったんじゃないかな。